dojingasukiのブログ

しがない同人者の愚痴

同人が好きだ。

同人が好きだ。

この手の記事は何度も読んだ記憶がある。ツイッターで定期的にバズる。同人が好きだけど辞めますという記事を読んだこともある。
結論から言うと、こんなにも同人が好きなのに、なぜ交流というものはこんなにも面倒なのか、答えが出せないでいる。先月のイベントを終えた今も、答えが見つけられず、ただただ困っている。
すこし長くなるけれど、初心に戻ってみよう。
 
初めて同人誌を買ったのは、中学三年生のときだった。お年玉を握りしめて、一月のインテに友人と行った。オールキャラのギャグ本や全年齢のものを中心にそのときハマっていたジャンルの本を購入した。
実際にサークル主を前にすると、緊張で見本を取る手が震えたことを今でも鮮明に覚えている。好きな作品を作ってくれる人が、目の前にいる。感動と緊張で一度も「好きです」と言葉にできないまま、買い物を終えた。友人もほとんど同じ状態で、ふたりして情けないねと笑った。
高校生のときも、年に数回イベントへと足を運んだ。はやく大学生になって、年齢制限のある本も購入したいと思っていたことは覚えている。けれど、そのときも実際に「好きです」と言えた経験は、2、3回しかなかった。差し入れを買って行った経験もなかった。
 
中学、高校のときに少しだけ2次創作をしていた。ツイッターのアカウントも持っていた。好きなジャンルや好きなcpが同じ人たちと繋がっていたけれど、相互フォローの人たちの中に、サークル参加をしている人はいなかった。だから、本を出している人は、私からすれば本当に遠い世界の人たちで、本を出すことはとても高尚なことのように思えていた。そのくらい、同人誌というものから得ている活力や楽しみが私には多かった。pixivで見るよりも、本として手元に置いておきたいと思う作品がたくさんあった。
 
高校三年生の三月、たまたま書いた作品が今までで一番高い評価をもらった。そのジャンル用に作ったアカウントは、少しずつフォロワーが増えていった。感想を送ってくれたり、ジャンルのことを呟くと共感のリプライをくれたり、みんなとても優しかった。
私にとって大きなターニングポイントとなったのは、当時わたしがとても好きだった書き手さんが、私のことをフォローしてくれたことだった。同じ都道府県に住んでいて、年齢が近いことが分かると、すぐに遊ぼう、ご飯に行こうと誘ってくれた。私は本当にうれしくて、誘われたらいつも予定を空けていた。月に一度程度の頻度で会っていた。とても優しくて、いつも気遣いが素敵な人だった。
その人は、イベントで何度も本を出していて、私はフォローしてもらう前に既にその人の本を持っていた。ぜんぶ好きだった。けれど、イベントで好きだと伝えられたことはなかった。
会うたびに「好き」と繰り返していたが、その人もまた私の書いたものを好きだと言ってくれた。好きな人に好きだと言ってもらえるのは、単純にうれしかった。お世辞だとしても嬉しかった。
 
初めて自分の書いたものが本になったのは、約3年前だったと思う。
そのフォロワーさんが本を出しなよと誘ってくれていた。読みたいと。私はあまりに自信がなかったのでずっと断っていたけれど、やがて「合同誌ならどうか」と提案してくれた。「2万字書いたら十分だから」とも言ってくれた。
それなら書いてみようかと思ったのが、3年前だ。初めて自分の文字が掲載された本を手にしたとき、純粋に感動した。すごいと思った。本という形になったことがうれしくて、また、買いに来てくださったり、感想を届けてくれたりした方々に本当に心から感謝した。
「好きです」と言ってくれた方には、勇気を振り絞ってくれたんだ、と分かる挙動の方もたくさんいた。高校生のときの自分と似ていたからだ。硬い表情と硬い声。わたしなんかに緊張しなくていいのに、と恐縮してばかりだったが、初サークル参加(その日は売り子として手伝いをしただけだったけど)したイベントは、楽しくて、嬉しいが詰まっていて、またイベントに出たいと思わせてくれた。本を作りたいとも、思わせてくれた。
 
それから、そのジャンルで約2年間、同人活動をした。奥付にツイッターのIDを書いたことはなかったが、イベント参加するたびにフォロワーが増えていった。読んでくださる方との交流も増えた。また、サークル参加をしている方との交流も、増えていった。
 
最初はとても楽しかった。自ジャンルや自カプの話をできる場所は、私にはツイッターしかなかったからだ。いろんな人の意見を見ることができるのも、初めての気付きがあったりして楽しかった。
初めて「面倒だな」と思ったのは、私に空中リプライで対抗してくる人に出会ったときだった。わたしが「Aをしてみたい」と言うとすかさず「私は絶対Bをする」と発言してきたり、「ABの○○すごく萌える」と発言すれば「ABの関係に○○は要らない」と発言を重ねてきた。
その人は年に数回サークル参加をする方で、とても好きな人だったけれど、そのような発言に出会えば出会うほど、その人のことも、その人の作品さえも苦手になってしまった。
あんなに好きだったのに、読めなく、なった。
衝撃とショックで、しばらくは落ち込んだ。心が狭い。そう思ったけれど、本を開くとどうも拒否反応が出て、内容が入ってこなかった。本人と作品は別だと割り切れなかった。
その方とは相互フォローが続いていたから、イベントがかぶる度気を遣って「楽しみにしていました!」と言って本を買った。しかし毎回読めないままだった。今も引き出しの中に眠っている。
 
私はその方の本を「買わない」という選択ができなかった。読みもしないのに。失礼だと分かっていた。人気のある方だったから、売り切れで買えない人がいることもわかっていた。それでも、「買わない」のはできなかった。
なぜなら、その人のことを知っていて、相互フォローで、その人が私の本をいつも買ってくれるからだ。「好きだ」「楽しみにしていた」と言ってくれたからだ。その人も私と同様に気を遣っていたのかもしれない。それでも、相手がそう言ってくれる以上、「私もです!」と言って本を買うしかなかった。
 
面倒だと、思った。
 
そのジャンルでは、そのような人が2、3人できた。
読まないけど、買う。本にも本人にも失礼だ。それでも交流がある限り、その人が本を出すなら買わなくちゃいけない。フォロワーがサークル参加していれば、必ず差し入れも用意しなければならなかった。年齢層の高いジャンルだったから、一人一人に準備する価格も安くはなく、重荷だった。
使命感に駆られて、それでも罪悪感に襲われて、その後わたしは一年間、イベントに行かなくなった。行きたかった。欲しい本も出したい本もたくさんあった。でも、なにかと言い訳をつけ、行かなかった。やがてツイッターに浮上することも少なくなり、TLを見ることも、フォロワーさんたちと交流することもなくなった。
悲しかった。あんなに楽しかったのに、面倒だと思ってしまった自分が、信じられなかった。
 
その後、別ジャンルでまた少しずつ書き始めた。アカウントも新しく作った。けれど、ダメだった。フォロワーが増えていくのが、怖かったのだ。
作品を評価されたり、感想をもらうことも少しずつ怖くなっていった。書き手の人をフォローしたくないと思ってしまうことも増えた。だけど、フォローしてもらったのにフォロバしなかったら、新参者のくせに嫌なやつだと思われるかもしれない。そんなことを思って、フォロバもできる限りするようにしていた。
結局、フォロワーが40人を超えたとき、私は何も言わずにアカウントを削除してしまった。怖かった。また空中リプライで対抗してくる人がいるかもしれない。ツイートを見ることで、作品まで苦手になる人が出てくるかもしれない。それが怖かった。
アカウントを消した後も交流を続けていた人と、先月のイベントに合同で出ることになっていた。このジャンルでは初めてのサークル参加で、とても楽しみだった。楽しもうと思っていた。
アカウントを消したことで、周りのサークルの本を必ず買わないといけないという使命感もなかった。差し入れを必ず用意する必要もなかった。サンプルを見て、気になった本だけを買った。新刊ではなく既刊のみを買うことになったサークルもあり、失礼かと思ったが、相手は私を知らない。私も相手を知らない。楽だと思った。今度こそ楽しめるようになるかもしれないと思った。
 
けれど、そう簡単でもないのが同人と交流の難しいところだ。
 
今回合同で出た相手はサークル参加が初めてだった。不安だから一緒に出てほしいと言われ、一緒に出た。新刊は同じ金額だったので、交換の形でお互いのものを受け取った。
彼女はとてもフォロワーの多い書き手で、誰からも好かれていた。その一方で仲がいい人のことを蔑ろにする傾向があり、私は少し前から苦手意識を持っていた。設営中、彼女のその側面が垣間見えた。
「取り置きお願いされたんだけどいいかな?」
突然言われて、私はすこし戸惑った。前ジャンルでも、私は仲のいいサークル主以外、取り置きをした経験はなかったからだ。来てくれた人から順に頒布したい。けれど、波風を立てたくなかったので、わたしは笑顔で「いいよ」と答えてしまった。
「1冊でいいかな?」
「いや、16冊」
今度こそ、「えっ?」と言ってしまった。なんで?わたし取り置き受け付けるなんて言ってないんだけど。1冊2冊ならまだしも、16冊?
「(わたし)ちゃんの分もお願いって頼まれたの」
知らねえよって言いたかったけど、我慢した。「わかった」とだけ言った。また、「面倒」だと思ってしまった。交流さえしていなければ、私はこの人と知り合うことも、合同で出ることもなかったのに。そう思ってしまった。
 
交流をやめて買いたい本だけを買えたのはとてもよかったが、交流をしていない弊害もきちんと出た。
先述した通り、先日の合同相手はフォロワーが多い。彼女のフォロワーがたくさんスペースへと足を運んでくれた。
中にはもちろん、彼女の本だけを買っていく人もいた。それは当たり前だ。わたしもそういう経験があった。
だけど、悔しかった。彼女はサークル参加も初めてで、本の体裁もあまり整ってはいなかった。三点リーダは一個使いだし、!や?のあとにスペースもなかった。余白も左右同じにしていたのか、とじしろがなくて読みづらい。内容はともかく、わたしが初見なら買わないなと思ってしまうようなフォーマットだった。
 
でも、彼女の本の方が早くなくなった。彼女のほうが部数も多かった。けど、先に頒布終了した。
スペースにくる人は、ほとんどが彼女の知り合いだった。もっと言うと、近隣のスペースもほとんど全てが彼女の知り合いだった。
悔しかった。自分の本にそこまで自信があったわけじゃなかったけれど、机に自分の本だけが残っている風景が、すごく悔しかった。
 
交流をした弊害がどこかで出るのに、交流をしなかった弊害も出るなんて。楽になれたと思っていたのに、ちゃっかりダメージを受けた。約1ヶ月が経った今も、まだ消化し切れていない。我ながら女々しいと思う。けど、もうよく分からない。交流ってなんだ。仲良くなること?仲良くなったら本を買わなければいけないの?
 
みんなどうしているんだろう、と昨日も一日考えていた。答えは出なかった。
 
好きじゃないサークルの本を買っていませんか?
多くの差し入れが重荷になっていませんか?
気になった本以外も買っていませんか?
寄稿を断れず、個人誌を落としたことはありませんか?
交流上手な方を尻目に、悔しい思いをしたことはありませんか?
 
みんなそういうとき、どうしているんですか?
 
分からなくなってしまった。同人が好きだけど辞めますと書いていた人も交流が原因じゃなかったか。これを書いてて今ふと思い出した。だけど、私はまだ続けたい。ただただワガママだということはわかっている。だけど続けたい。
だってわたしは、同人が好きだ。
 
先月も思った。自分の書いたものが本という形になる。相変わらず感動した。
好きな人の本を手に取った。震える声で「好きです」と伝えた。嬉しいと楽しいが詰まっていた。
 
交流は辞めた。あの輪にはもう戻れない。でも、同人は続けたい。けれど、こんなにしんどい思いをしてまですることなのか?自分でも分からない。
本当は5月のイベントに出ようと思っていた。新刊の在庫もそこで売り切るつもりだった。けれど、5月のイベントでは、私の今いるcpのアンソロジーが出るらしい。
先月のイベントまで、わたしはそれを知らなかった。交流していないから、主催とも知り合いではないし、声もかけられていない。
だけど、アンソロジーの寄稿者の中には元フォロワーたちがたくさんいた。中にはオフで見たことのない人や、別cpが本命の人もいた。自カプのオフ者が不足しているなら、交流を続けていたら、自分もその中の一人だったかもしれない。寄稿を頼まれるといつも断れないので、今回は交流を辞めていてよかったと本当に思った。
だけど、それが原因でイベント参加の二の足を踏んでいるのもまた事実だ。交流をやめたメリットの次にはすぐ、交流をやめた弊害が出る。
5月のイベントには先月出ていなかった元フォロワーたちも、アンソロの宣伝がてら出るかもしれない。その中には先日の合同相手もいる。近くのスペースになったら、またあの劣等感を感じることになるかもしれない。
 
そんな考えになること自体、嫌だ。周りを気にせず同人活動をしたい。それでも人目が気になる。完全に私の問題だ。心が狭い。ああ、もうなにが言いたくて書き始めたのかも分からない。
 
だけど、一つ言えることは。
交流で悩んでいるのは、あなただけじゃないですよ。
フォロワーの多い人に劣等感を抱いているのは、あなただけじゃないですよ。
 
それが伝わればもういい気がしてきた。この約6千字はなんだったんだ。もっとうまく伝えられる方法はなかったのか。なかったな。うん、ないわ。
 
特定が怖くてかなりフェイク混ぜてあるので、偶然同じような境遇の人が周りにいてもきっとその人じゃないので大丈夫です。疑心暗鬼にならないでね。合同サークルで出たのも、頒布物が先にはけたのも、あなただけじゃないですよ。取り置きを勝手に受けたという人は、あまりいないかも。でも、きっとあなたことではないので、気にしなくていいです。
 
こんな文章をここまで読んでくださってありがとうございました。読んでくださってる方っているんだろうか。いや、いなくてもいいものなんだけど。
イベントに出るかは置いといて、とりあえず原稿しよう。書くのはやっぱり、好きなので。これを書いてても思ったから、もう仕方ないことなんだろうな。
 
 
交流、無理したくないな。
同人、楽しく続けたいな。
 
今後に望むのはそれだけ。辛い思いをする人がひとりでも減りますように。楽しく同人活動ができますように。
みなさまの今後の活動が快いものとなりますように。